こんにちは、カラプロ一期生の佐藤です。この度手記を担当させていただく運びとなりました。少しの時間ですが、退屈しない記事づくりを心がけます。よろしくお願いいたします。
今回の手記の大まかなテーマは、活動を通して震災を振り返るです。苦手な方がいらっしゃいましたら大変申し訳ございません。
さて、今回なぜこの話題で記事を書かせて頂いたかというと、もうじき東日本大震災の発生から12年が経過する3月11日を迎えるからです。(いつ掲載されるかはわからないのですが本日は2月23日です。)我らがカラプロの拠点であり、故郷である福島県は甚大な被害を受けました。
当時の私は小学一年生で春休み真っ只中でした。正直12年も前のことなので当時の記憶はほぼないに等しいのですが。あれから11年経った昨年の夏に、私はカラプロの活動で浜通りの東日本大震災・原子力災害伝承館や請戸小学校に訪れ、当時の悲惨な状況やたくさんの方の苦労を全てとは言わずとも知ることができました。
カラプロではまず最初に伝承館を訪れたのですが、大きなスクリーンに映し出されたビデオはとてつもない迫力がありました。伝承館の中には、当時の生活が伺えるものから数字が可視化されたものまでたくさんの展示物がありました。また、当時の原発の状況を事細かに説明されている係員さんもいらっしゃり、難しい話題も多かったのですがとても勉強になりました。実は最近再び伝承館に訪れる機会がありました。今回は大学の留学生と同行していて、説明が全て英語だったため理解するのがとても大変でした。係員さんも全員が英語を話されるわけではなく、係員さんの迫力のある語りを英語でも聞くことができたら世界中の方にもっとこの出来事のことをよく知ってもらえるのではないかと思いました。
請戸小学校では、一階部分の剥き出しの鉄骨や給食室のすみに信じがたい様子で詰め込まれていた調理器具が強く印象に残っています。津波のエネルギーの大きさに、想像しただけで背筋が凍ったことをよく覚えています。二階部分の展示の中に、避難を呼びかけたが応じない方がいたこと、もっと強く呼びかけていればという自責のコメントが残されていました。この遺構や込められた思いが次に起こる悲劇を少しでも減らしてくれたらと思いました。また、この遺構は私にとってどこか他人事であった『震災』や『津波』を自分の視点で考えるきっかけになりました。
秋の講演会では、語り部さんや特別講師の先生から、また新たな視点のお話をいただきました。語り部さんは、仮設住宅で本当にあった話を感情豊かに表現してくださいました。過酷な環境の中で自治やボランティアをすることで少しずつ自分たちの環境を改善していくストーリーは、自分のもしその立場に立った時にどうするべきなのかを考えさせられました。
特別講師の先生からも、自治のお話をいただきました。ビックパレットに避難した方々が避難所生活を乗り越えていく過程には自治に関するたくさんのヒントが詰まっていました。また、外国の被災した時の『なるべく普段通りの生活を維持する』という考え方にとても感銘を受けたことを鮮明に覚えています。ビックパレットの自治の中にもこれに通ずる部分があったのではないかと私は考えていて、あえて一括りに表現させていただくと『娯楽』というのでしょうか、人の心を豊かにする物事はどんな時であっても大切なのだと気付かされました。
さて、ここまで過去の思い出話のようなものを長々と綴らせていただきました。最後はここから先、未来のお話をしてこの記事を綴じさせていただきますね。さて、私たちは今、東日本大震災を経験して記憶が残っているギリギリの世代ですね。光陰矢の如しとはよく言ったもので、震災を経験していない世代がどんどん増えていることは周知の事実です。そんなギリギリ震災を経験している、さらに現地に赴き震災を『自分事化』する機会を持つことができた私たちだからこそこの悲劇を二度と繰り返さないようにするために積極的に対策を講じる必要があるのではないでしょうか。自然災害は人間の手では止められません。だからこそ、この震災を『対岸の火事』ではなく、自分の身の回りで起きていることと捉える方が一人でも増えるように活動していきたいなと思いました。などと言いつつも情けないことに具体的な策は全く思いついておりません…おそらくコメント機能があると思うので、良い案を考えついた方はそちらに書き記していただけたらとても嬉しいです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
佐藤知優
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